2年生のみなさんへ  心ない発言にであったとき

広 瀬  徹


この文章は2年生の人権ロングホームルームに
参加した とき、私から生徒たちへ配布したものです。


 10月26日、金慶子キン・キョンジャさんに、「在日のオモニからのメッセージ ちがいを認め合う社会をめざして」と題して、講演していただきました。
 息子さんが「俺、なんで指紋押しに行かなあかんねん。」といって、市役所へ呼ばれたとき、係りの人の「私もおかしいと思っています。」という声に出会います。そしてほどなく、犯罪者のように外国人を扱う制度は少し良くなりました。息子のことを心配しておられるお母さんとしての気持ちがよく伝わりました。

  その講演の途中で、周囲にも聞こえるように、「そんなんいうんやったら、帰れ」と言った2年生がいたそうです。
 悲しいことだと胸が痛みます。
 ひとの気持ちに思い至らず、グサッとくるような言葉を言う同級生がいる。

 実は、日頃でもそんなことが起こっていて、そのたびに真剣に言うのですが、まだ伝わりません。
 あの時間、2年生の席もとくに後ろのほうは、ザワザワして、あるいは平気で周囲の邪魔になるような声でおしゃべりしている人が、たくさんいました。君らのおかあさんの年の人が話してくれているのにと、申し訳なくてたまりませんでした。そんな雰囲気であったからこそ、そんなひどいことが言えたのだと思います。私たちが言わせたともいえます。

 そんなひどいことを自分は言わないというのは基本ですが、もうひとつそんなとき、「そんなひどいこと言うたらあかんやん」といえる勇気、言えるしっかりした確信が持てるみなさんになってもらいたいと思ってこの文章を書いています。

 私にも忘れられない1シーンがあります。

 20年ほど前、結婚したてで帰省した九州からの帰り、新大阪駅でタクシーに乗り込もうとしたときのことです。
 そのとき私は義足をつけていました。妻も小児麻痺のきつい後遺症をかかえていて松葉杖をついています。たくさんの九州からの荷物と共に、タクシーに乗り込もうとしたとき、うしろのおばちゃんが、「なにモタモタしてんの。足わるいんやから、家におったらええんや。」というなり、先に乗り込んで行ってしまったのです。

 20年たった今でも、なぜすぐに「なにいうてんの。障害者が外出するな、本気に言うんですか。」と言い返せなかったことが、くやしくてたまりません。たぶん、そう言えれば、周囲にも伝わりますし、あのおばちゃんもバツが悪くなって、乗り込むのを止めたでしょうし、乗車係のタクシー会社の人も割り込ませはしなかったと思います。

 20年そう考えてきましたが、今回の事でこう考えがつけ加わりました。
 もし、そばにいたほかの人が、「おばちゃん、ひどいこというたらあかんで。わりこまんとき。」と言ってくれることがおこっていたら・・・・と思うのです。

 20年前、日本の社会にそんなことを期待することなど、私たち障害者には思いもよらないことでした。
 しかし、震災後の関西、二千万円の予算をかけてJR立花駅にエレベータをつけて、のぼるのにつらい階段を楽にしていく時代が来たいまなら、そう言ってくれる人が出るかもしれないと思うのです。
 
 いっしょうけんめいに若者に語りかけてくれる金おかあさんの気持ちを考えたら、今度そんな場面が自分の身近にあったら、こんどこそ「そんなひどいこといいなや」と言いましょうよ。
 実は、一年生が作文に「2年生が無責任な発言をしてた。なんとかならないでしょうか。」と書いてくれたことから、わたしたち2年生の発言がわかりました。勇気を持って書いてくれたと感謝しています。

 身近なところに、心ない言葉を言っている自分がいないだろうか。
 そんな友達がいないだろうか。
 きちんと言って、とめてあげる力まで持つのは容易なことではありませんが、未来を開き、未来を背負うきみたち若者に、広い視野、豊かな国際感覚、豊かな人権感覚をもってほしいと願います。

                                          2000.11.10


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