わたしの卒業生たちへ
1996年2月28日 19回生卒業式の日に (学校新聞より)
年の暮れ、レコード大賞の発表会で、新井英一という歌手の「清河への道」(メルダック社)という唄を初めて聞きました。
先日ようやくレコード店でみつけて最後まで聞きました。夜更けてCDカセットから流れる唄をヘッドホンで聞いていて、茫としてあふれる涙を抑えることが出来ませんでした。
「アジアの大地が見たくって俺はひとり旅に出た」と始まるこの唄は、おとうさんのふるさと慶尚北道清河(チョンファ)を訪れる自分を歌っていました。四十八番の歌詞が続くギターの弾き語りでした。
小さい頃からの自分を語るその弾き語りは、わたしの三十年代、ホームルーム担任として出会い、苦楽を共にしてきた在日朝鮮人青年たちと重なってなりませんでした。
わたしに「先生、足どうしたんや」と直さいに問うた生徒たちと歩んだ十年ほどの年月は今のわたしの原点です。
自分が片足の障害者であるという現実から逃れようとしなくなったそのころ、お互いに分かったことがあります。それは、社会的にハンディとされることがらが、実は、生きていく上の人の優しさにとってバックボーンに成り得る、ということでした。そのことを生徒達は分かっていました。
新井氏のそのギターの弾き語りは、ようやく聞き取ることのできた自分の父の話を、級友に聞かせていくあのころの生徒たちと重なるものでした。
わたしはそのころ音楽の得意な生徒によく、本気で音楽をやらないかと言っていました。こんな思いを音楽で表現できたら、いやきっと表現できるすべがあるはずだ、と思ってきました。歌ひとつで、死ぬことを止めることがある、歌ひとつで生き方が変わることがあると信じていました。
ようやく巡り会えました。ようやくそうした唄が世に出るようになりました。95年度のレコードアルバム部門の大賞を受けたそうです。大賞をうけることで年の暮れ、わたしはこの唄に巡り会えたのでした。
ようやく、自分の半生を語る在日朝鮮人歌手がレコードアルバムを出し、それがわたしたちに届く時代が訪れてきたようです。
夜更け、ヘッドホンを耳に当て一心に聞いていました。四十八番の歌詞でも語りきれないたくさんのことがつまっていました。
中身について、卒業するみんなに話したいのですが、もう一方で話したくないのです。直接聴いてほしい。歌詞も見ないで、弾き語りとして聴いてほしいのです。
今なら「大賞受賞曲」としてレコード店においてあると思います。卒業するみんなにどうしてもすすめたくてこの学校新聞に書くことにしました。
世界の半分以上の人口を占めるアジアは、将来の地球人類にとって大きな位置を間違いなく占めます。
兄たる国・朝鮮、父母たる国・中国、民族の源たる東南アジア、その人々と正当につき合えるアジア人として二十一世紀を作っていってください。
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